蛇口の虹

それはギザギザハートのわくわくだ!

忙しい退屈

 

お題「気分転換」

 

またまたお題を借りた。

 

仕事で画面を見て、ご飯食べている時はYouTube見て、ソファでだらつきながらTikTokを見て、たまに友達とゲームして、気になっていた映画が配信されているのを知って飛ばしながらNetflixで見る。隙間にLINEのチェックも欠かしていないのに、足早に過ぎていくひとつひとつが軽いせいで、一年ぶりの友人からの連絡でさえも、なんでもない日常のただの通知音に感じてしまった。

『明けましておめでとう!今年は会えるといいな』

こんな悲しいことがあるだろうか。

 

まあいいや、が増えてきて生きやすくはなった。同時になにかを考えることも少なくなった。体を動かすこともせず、目に色んな映像が濁流のように流れていくだけの時間がかなり増えた。

 

こんな退屈だったけな?そんなはずなかったよな。やりたいこと、たくさんあったはずなのに。

人と話すのも億劫で、好きになることも嫌いになることもなく、まあそんなもんだよなが増えている。すごく辛いことがなくなった。

なんだか最近、人生が、生きることが、退屈で退屈で死んでしまいたいような、いやもう死んでいるような気持ちだった。

何にも価値のない、こんな退屈しか感じることができない自分に、なのに何にも動かない自分に、どうしようもなく疲れていた。おかしな話だけど、本当に自分が自分であることに疲れていた。

 

原因はたくさんある。自分のせいなのを痛感していて、余計にやるせなくなっていた。原因であろう過去の出来事たちを振り返る覚悟もなかった。だけど、一回だけほんの少し勇気を出して、苦い思い出たちをつついてみようとした。そして『今のわたしのダメなところを変えるように努力する』とか考えてみたけれど、ちょっと振り返っただけで頭と心と体が一気にずしんと重たくなった。『それ以上進むともっと辛いよ。底なし沼とわかっているところに自分から入るのはどうなんでしょう』というわたしに甘いわたしが警告してきたので、素直に従った。

 

『みんなも毎日退屈だよ。なんとか折り合いつけてるだけだよ』っていう声も聞こえた。そうだよな。そんなもんなのか?うん、そんなもんだよ。

 

 

 

 

 

 

そんな風に前に進もうともせず目の前の現状にたらたら文句だけ言って退屈そうにしていた私を、ある日、彼氏が遠出しよう、と連れ出してくれた。

 

特に場所を決めていなかったみたいで、私が適当に車のナビの地図をぴこぴこと触っていたら、伊豆の端っこの海沿いに『灯台』の文字を見つけた。なんとなく目が止まって、まあなんかこういう時にソレっぽいとこ行くもんだよな、と勝手に目的地に設定した。目的地まで3時間、と出た。(流石にギョッとしたけど、彼氏は「おっけ〜」と緩い返事で文句も言わず運転し始めた。わたしはこの人の寛大さもありがたさも、最近かなり忘れていた。いや忘れていたというか、薄れていたけど、今文章にしていて強烈に胸を打たれている。)

 

 

 

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静かな海だった。

風も波も、匂いまでも穏やかだった。

私がなんとなく浮かべていた「ソレっぽい景色」なんてクソだったと思い知らされた。

『こんなの、世界を愛してしまう』

口には出さなかった。きっと口にしたのは綺麗だねとか、静かだね、だとかだったと思うけど、心の中でこの感情でいっぱいだった。すごく大袈裟で、こんな言葉使うのは恥ずかしい。そう思うけど、本当の本当に、ただこれだけを感じていた。昔の人たちが短歌や詩を詠むのはそりゃ仕方ねえなと思ったし、きっとこれからも人は詠みつづけるだろうなとも思った。学習が進んでいく人工知能も、どうせならこの感情も感じてくれないだろうか。この気持ちの詩を詠んでくれ。人間が滅んでも、どうかこの世界を愛してほしいな。

そんなことさえ考えてしまった。

 

 

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水仙が咲き乱れていた丘の上に灯台はあった。

さっきの静かな海よりも心は動かされなかったのは、ここにたどり着くまでの長い階段のせいだったと思う。

 

「いい日だったね〜」

と歩き疲れて、車に乗り込むや否や、そそくさと助手席で寝る準備をしている私に、彼氏は毛布を渡しながら言った。帰りももちろん3時間の運転なのに嫌な顔ひとつしていない。

目を瞑り、彼氏が吸うタバコの匂いを感じながら、この人の寛大さを風景にすると一体どんな素晴らしい景色になるのだろうか、とソレっぽいことを思って眠りについた。いい気分転換だった。