200日前に書いた記事の内容を鮮明に覚えていて、気恥ずかしくなって早速書くのをやめていたけど、前の会社の同期がブログを教えてくれたので、また私も書きたくなった。
その同期のブログを読んだ。お酒を飲んだようにテンションが高かった。とても良かった。
最近といえば、数年前に仲が良かった人たちとゲームをきっかけにまた連絡をグループラインで取り合うようになった。
まとも、とは言い難い人間ばかりだけど、すごく波長が合う。心地がいい。私というものを理解して欲しいように理解してくれているような気がする。
その人たちと眠れない夜中に昔話をしていた。当時の私がどんな風だったか例えてくれた。すごく嬉しかった。どういう例えだったのかを書くと、また気恥ずかしくなって次の記事を書くのが遠ざかるのが目に見えているので、やめておく。きっと自分が読み返した時、なんて例えてくれたか思い出すからそれでいっか。
今日はスーパーの帰り道に川の写真を撮った。霧が出ていた。
霧といえば、前住んでいた家の近くの公園から見える夜景が綺麗で好きだった。
特に霧が出ている日の薄暗い時は全ての光がぼやぼやと曖昧で、それを見るとなんだか安心した。私はその景色をとっても愛していた。
霧といえば、もうひとつ。去年、乗るはずだった飛行機が霧が濃くて欠航になった。
見渡す限り全てが灰色で、何も見えなかった。私が好きそうな景色だったのに、飛行機に乗れなかったせいだろうけど、心底がっかりした。そして急遽フェリーに21時間揺られた。ネットも繋がらない環境だったから、私は舷窓をスケッチした。乗る直前にダイソーで買った百均のスケッチブックと短い色鉛筆で。酷いものだった。それでも、海は霞みながらも煌めいていた。数時間前の心境とはまるで正反対に、私の心はわくわくして、この景色をそのままそっくり持って帰れたらどんなにいいだろうかと考えていた。
そして今日、撮った霧。いつもだったら橋から見えるはずの川をことごとく覆っていた。
私はその霧を見て、そういえばロンドンは『霧の街』と呼ばれていることを思い出した。
心はどんよりもせず煌めきもせず、もちろん愛すこともなく、本当にそれをただ思い出しただけに終わった。