蛇口の虹

それはギザギザハートのわくわくだ!

あ 

 

何年か前、まだガラケーが主流で『デコログ』というブログが私たちの周りで流行っていた。

私もそれをやっていたが同級生たちと交流していたデコログとは別に、毎日描いた絵を載せる用のブログをデコログでつくっていた。もちろん、誰にも教えていない。

当時はまっていたアニメの絵を描いてはそのデコログを投稿していた。どうせ誰も見ないだろうと好き放題に描いて書いていた。予想とは裏腹に2日目にはコメントが数件来ていた。それをいいことに毎日欠かさず投稿していた。ペンタブもなく、そのへんで買ったスケッチブックにボールペン。今よりずっと画質の悪い携帯の写真。何より上手くない絵。惹きつけるような要素は一切ない。決して上手くはない絵だったが、ずっと同じキャラクターを描いていたので、数日経つとさすがに少しずつは上達していた。多分。

「毎日見てる。絵が上手くなっていってる」

ある日、こんな感じのコメントが来ていた。多分、相手は大人だったとおもう。なぜか私はこのコメントを見て泣いてしまったのだが、何をその時感じたのかはよく思い出せない。子供の成長を見守るようなあたたかさ感じたのだろうか。素直に褒められたのが嬉しかったのだろうか。よく分からないが、そのコメントを読んでから、私は投稿をやめてしまった。なんでだろうと考えているうちに、本当にこんな出来事があったのかさえ自信がなくなってきた。

 

 

ちょうどスマホのアラームが鳴った。

チェーホフの小説の一節に「他人の生活に食い込み、生きるということが、それの一体どこが清らかなことでしょうか」というものがある。全くその通りだ。私の想像する愛はお互いを干渉し、落とし込み、生活に食い込み合う。どろどろにお互いを溶かして、周りから消えていくことだ。愛と清らかさは程遠いところに存在していると思っている。

いろんな愛の形があるんだろうけど、きっとどうせそんなもんだと願う。どうかそうであってほしい。あの日感じたあたたかさも愛なんかじゃない。